2026年10月20日火曜日

さよならCOWRA

笑顔でお別れ!大切なホストファミリーの皆さんと

さよならの代わりに結んだ、終わりのない絆の輪

 Auld Lang Syneを歌い、さよならの時になりました。仲間たちの顔を見渡すと、この旅で経験した様々な出来事が胸に込み上げてきました。心残りを乗せてバスはシドニーへと走り出しました。全行程を無事に終えて帰国の途につきます。(吉田)

大きく振られた手は、晴れやかな未来へのエール

COWRA PEACE PRECINCT (カウラ平和管区) 日本人捕虜収容所跡地

献歌



  旅の終着点であるカウラの朝は、深い鎮魂と平和への誓いで幕を開けます。日本人戦没者墓地の静寂の中、私たちはオーストラリア兵と日本兵、両者の墓前に祈りの歌を捧げ、献花をしました。豪州墓地には「How Great Thou Art」を献歌。旅行での第一声がこの曲でした。街の方々が見守るなか、心を込めて歌います。日本人墓地には「海」。私たちにとって海に対する思慕には特別なものがあります。この地に捕えられた日本兵は、ユーカリの丘からどれほどの想いを持って地平を臨んだことでしょう。
 かつての敵味方が同じ地で眠るこの場所には、ホストファミリーや市民の皆様も集い、国境を超えた追悼の輪が広がります。 1977年の初訪問以来、半世紀近くにわたって途絶えることなく続けられてきたこの訪問は、単なる慰霊にとどまらず、両国の間に育まれた真の友好を象徴する、この旅最大のハイライトとなりました。(吉田)

2026年10月18日日曜日

Concert in COWRA


 私たちの旅路は、カウラので温かな大団円を迎えました。幕開けを飾ったシューベルトの「さすらい」は、未知なる道へ踏み出す青年のごとく、私たちの胸に秘めた決意の産声でした。続くピアノステージでは、湯山先生が自らマイクを握り、コールファーマーの伴奏を通じて得た驚きと、このカウラでピアノを奏でる無上の喜びを客席へと語りかけました。会場を見渡せば、ホストファミリーや幾度も足を運んでくださる馴染みの顔、顔、顔。ここは遠い異国でありながら、私たちがいつでも「帰るべき場所」なのです。
 魂を震わせるマオリソングや、喝采を浴びた讃美歌「How Great Thou Art」と、世界を巡るような心の旅を経て、ステージは日本の四季へと移ろいます。夏から厳しい冬を越え、辿り着いた終曲は「早春賦」。それは奇しくも、これから本格的な春の息吹を迎えようとするオーストラリアの柔らかな風と、美しく共鳴していました。
 アンコールは「さようなら」。素晴らしい時ほど、砂時計のように早く零れ落ちていくものです。別れを惜しむ旋律に、感極まって涙で声を詰まらせる団員の姿が、この旅がいかに濃密であったかを無言のうちに物語っていました。
 ひとつの演奏会が幕を開ける陰には、途方もない献身が存在します。どの街でも、まるで空気を吸うかのように当たり前に私たちの舞台を支え、奔走してくださった方々への深い感謝は、とうてい言葉では尽くせません。成功という名の光も、失敗という名の影も、すべてを血肉として得たラグビーで言うところの「1キャップ」。この誇らしい経験の勲章を胸に深く刻み込み、私たちはまた、次なる「さすらい」の旅へと歩みを進めます。(大石)

悲しみを越えて紡がれる絆

 私はカウラで長年マリオン・スターさんのお宅にホームステイをさせていただいていました。現在は彼女の遺志を引き継いだ三姉妹の皆さんにお世話になっています。マリオンさんは、かつてこの地で起きた「カウラ事件」で、ご自身の身近で大切な方を亡くされるという、深く悲しい過去をお持ちでした。しかし、その絶望や痛みの中で決して心を閉ざしたり憎んだりするのではなく、「日本人と親しく交流することこそが、この悲しみを乗り越える道である」という、広く気高いお考えで、私たち日本人と向き合ってくださいました。その崇高な想いと深い慈愛は娘さんたちに引き継がれ、私たちをまるで本当の家族のように、あたたかい笑顔で迎え入れてくださっています。彼女たちの細やかな心遣いに触れるたび、私は胸が熱くなるのを禁じ得ません。深い悲哀の歴史を越えて、真っ直ぐに差し出されたこの尊い両手に、私たちは何をお返しできるでしょうか。それはきっと、言葉や国境を越えた友情と、祈りを込めて、私たちのハーモニーをこのカウラの澄んだ空へ誠実に響かせることなのだと思います。 (吉田)

懐かしき我が家

 

 演奏旅行の出発を間近に控えた頃、長年お世話になっていたマーガレットさんが、一足早く空へ還られたご主人のジョンさんのもとへ、静かに旅立たれたと報せを受けました。1977年の第1回訪問からCFを迎えてくださり、私は2004年からお世話になってきました。広大な羊牧場の中で暮らすお二人の優しい笑顔に接するたび、「カウラに帰ってきた」と実感したものです。最近はご高齢のためホームステイは控えていましたが、今回もまたあの温かな笑顔に再会できると信じて疑っていませんでした。
 今、お二人は愛した牧場の風や大地と一つになって穏やかな時間を過ごされていると伺いました。思い出の白い家の前に立ち、久しぶりに見るその景色に、懐かしさと、もう直接お声を聞けない寂しさが込み上げ、ただ心からの感謝を伝えてきました。見晴らしの良い場所から微笑んでくれているであろうお二人と、これまで支えてくださった全ての方々へ想いを馳せ、深い感謝を込めて歌声を響かせたいと思います。(三瓶)

縁の下の力持ち

 演奏会当日、まだ誰もいない静寂に包まれたホールへ誰よりも早く足を踏み入れるのが、団員の大石です。目的は、ピアノに命を吹き込む「調律」のため。いかなる環境下であろうと、妥協なき至高の響きをお届けしたい——その熱き矜持が、彼を突き動かしています。そして、この孤独でひたむきな舞台裏の作業を目にするにつけ、私たちの脳裏に浮かぶのは、指揮者の升本弘先生の背中です。以前は先生ご自身が、この重責を一身に担ってくださっていました。タクトを振るだけでなく、自らの手で音の土台から築き上げてくださっていたその途方もない労力と、私たちへ向けられていた深い愛情。時を経た今だからこそ、その見えない献身の重さがひしひしと胸に迫り、ただただ尽きせぬ感謝の念が込み上げてくるのです。(吉田)

2026年10月17日土曜日

日本人戦没者墓地



 オーストラリアのニューサウスウェールズ州にある「カウラ日本人墓地」は、1944年に捕虜収容所で起きた史上最大規模の脱走劇『カウラ事件』の犠牲者を中心に、大戦中に同国で亡くなった520名以上の日本人が眠るオーストラリア唯一の公式な日本人戦没者墓地です。墓地の整備や日豪の和解に尽力した当時のカウラ市長、故A.J.オリバー氏ら市民の方々の温かい献身によって、現在ではかつて敵国同士だった両国を結ぶ平和と友好の象徴として美しく維持されています。オーストラリア兵と捕虜であった日本人が隣り合う敷地に祀られていることは真の和解の証と感じます。 (吉田)