2024年10月7日月曜日

ロベサル到着


 ロベサルは南オーストラリア州の州都アデレードから東へ40kmほど。1842年に当時のプロイセン王国から来たルーテル派プロテスタント移民によって建設された街です。私達のコンサート会場もルーテルスクールの敷地内にあります。
ニュージーランドのタウランガ空港をバスで出発。心配した通り、オークランド空港では国際線の乗り換えギリギリの到着になり大慌てでした。シドニーでの乗り換えでは団員のスーツケース1個が行方不明になるアクシデントが発生。
ニュージーランド時間9時頃に出発して、ロベサル着はオーストラリア時間20時半頃でした。
熱烈な歓迎に疲れも吹っ飛びました。
明日はコンサートはもちろんですが、様々な歓迎行事で大忙しになりそうです。






ありがとう タウランガ


 コンサートの緊張から開放され、昨晩はホームパーティーを楽しみました。ホームステイから演奏会まで、全てのアレンジをして下さったナイジェル ドレイクさん、順子さんご夫妻のお宅です。ほぼ全員のメンバーが集まって話しに花が咲きました。

翌日8時半、空港に集まりました。今日はタウランガからオークランドに移動。国際線に乗り換えてシドニー経由でアデレードへ。そこからバスでロベサルに向かう行程です。急遽、バス移動に変更となりました。果たして国際線の乗り換えに間に合うのか?ハラハラドキドキの車中のはずが、皆、爆睡中です。

お世話になった皆様ありがとうございました。

























NZラストコンサート


 豪州の故郷がカウラであれば、NZでは、ここタウランガがそうでしょう。いつものウェズリー教会での昼間のコンサート。教会の窓からは陽光が射し、桜の花も見えています。会場に訪れたお客様はほとんどがよく見知った方々ばかり。ようやく帰ってきた、という気持ちがしました。

 今回街の方が、グランドピアノを用意してくださいました。第2ステージは湯山優子先生のピアノソロステージ。シューベルトのピアノ即興曲op.40、快活な2楽章と、哀愁にあふれ、ロマンティックな3楽章を披露されました。湯山先生の演奏はどの街でもとても人気があります。この日も大きな拍手が会場を満たしました。

 終曲、「ウィーン、わが夢の街」が終わると一人のご婦人が、ワインのボトルを持って、升本先生に渡されました。まるでこの曲のために用意して来たように。
 アンコールは「山寺の和尚さん」。トリッキーなリズムのジャズ音楽に大いに盛り上がりました。退場の際にはお客さんが大きく手を振り、それに団員も応えます。

 これがNZでの最後の演奏会。息もつがずに走り抜けた5日間でした。明日からは豪州。新たな気持ちで旅立ちます。 (大石)









2024年10月6日日曜日

フェザーストン 献歌

God be with you till we meet again

105日 午前10時 Beautiful day
6年の時を経て、再び痛ましい事件の起こったフェザーストンのメモリアルガーデンにやってくることが叶いました。祈りの歌を献げることが私たちにできる唯一のことです。
第一次大戦出兵兵士の記念碑に向かい升本先生と奥様が献花。それに続けて「God be with you till we meet again」を捧げた。この曲はフェザーストン事件の解決と、NZと日本の友好親善を進めた大田昭子さんが亡くなれた際、升本先生が編曲されたもの。
次いで、フェザーストン事件で犠牲になられた方の慰霊碑「鎮魂」に団長の伏見が献花、それに続き文部省唱歌「海」を献歌。遠く異国の地で海の彼方の祖国に寄せる想いは如何ばかりであったろう。


リラックス・ナイト

 NZで最後の訪問地、タウランガに着きました。
楽しいながらもあわただしい日が続いていましたが、ようやくひと息付けた夜です。
美味しい食事と地元産のワインをいただきながら、話が弾みました。
しっかりとリラックスして、明日は最高のコンサートにしたいと思っています。(斎藤)

 



タウランガ到着




フェザーストンからバスでウエリントン空港へ。
タウランガへ1時間半のフライト。17時半頃到着。
画像は陸路ですが到着地は赤いマークのところです。
ここでもまた懐かしい顔が出迎えてくださいました。
明日のコンサート会場の確認をして帰路につきました。(吉田)



移動の合間に旅の日記をつらつらと











さよなら フェザーストン

                       

 ロイヤルホテルに集合。お別れのセレモニー。団長の伏見が感謝のスピーチ。
たくさんの方々が私達のために動いてくださり再訪問が実現しました。
本当にありがとうございます。

その後Featherston Military Camp Historical Siteと桜ガーデンに移動。

献歌を捧げました。この模様は後ほどあらためて報告します。

桜ガーデンには暴動事件で亡くなった日本人捕虜の方々のの人数と同じ本数の桜が植えられています。彼らの遺骨は終戦の混乱の中で見失われ、帰国を果たすことができなかったのです。
桜の花々と青空に日本国国旗が優しく旗めいていました。

Auld Lang Syne(蛍の光)を輪になって手を取り合って歌い、
バグパイプの演奏が鳴り響き別れの時がより一層心にしみました。(吉田)