2012年9月7日金曜日

Featherston Memorial Park

9月7日
フェザーストンメモリアルパークにて

この地には第二次世界対戦中に日本人捕虜収容所がありました。1943年2月25日に捕虜の暴動事件が起きました。48名の日本人とNZ人看守1名が命を落とし、負傷者が日本人63名、看守17名にのぼりました。
捕虜に苛酷な労働や侮辱を加えることなく、国際法に基づいた待遇が与えられていました。それにもかかわらず暴動が起きた原因をNZ政府は理解できませんでした。捕虜達が自らの労働が利敵行為に当たると考えたこと、捕虜は恥という当時の日本の教育も事件の一因であったと推測されています。真実はわからない事ですが、この事件がフェザーストンの方の心に深く陰を落とした事は間違いのない事実です。
この史実は日本でもNZでもあまり知られていません。私達の多くも10年前の初めて訪問からこの事について勉強し始めました。初訪問の頃にはその感情を垣間みるエピソードも伝え聞き、良好な関係を築いていると思っていました。そして、NZとの間にも戦争にまつわる反日感情が存在するという事に少なからず衝撃を受けました。
暴動事件の時に死傷者の対応に使われたANZACホールでコンサートを行い、愛と平和を歌い、この地の方々と交流を継続して深める事ができるのは奇跡ともいえる事と感じています。(吉田)

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