2016年9月12日月曜日

音楽が育んだ奇蹟 (フェザーストン 9/12)

第一次世界大戦中、フェザーストンにあったミリタリーキャンプ跡がANZAC(Australian and New Zealand Army Corps)のメモリアルになっています。
第二次世界大戦中は日本兵捕虜収容所が置かれており、終戦間近の1943年に様々な行き違いから収容所で暴動が起き、日本兵、NZ兵双方に犠牲者が出ました。

同様の事件があった豪州カウラ市を始め、様々な縁から私達は2000年にこの地を初訪問し、以来2年毎にコンサートを行い、そしてメモリアルにて歌と花を献じて参りました。
16年の歳月の中で、メモリアルに隣接した公園には犠牲者の数の桜が植樹。
そして南ワイララパ地区首長のステイプルス氏や市議、市民の協力の下、風よけのシェルターも設置されてきました。

訪問を前に、当団指揮者の升本先生がステイプルス首長に公園に名前をつけましょうという親書を送り、この提案は南ワイララパ市議会で決議されました。
音楽が育んだ奇蹟として私達は受け止めています。

フェザーストンを離れる日、私達はキャンプメモリアルを訪れ、始めに亡くなられたNZ兵士の方に向け、次いで日本兵に向けて事件慰霊碑に歌と花を献じました。
この日に合わせ、新たに設置されたプレートの除幕が、ステイプルス首長と升本先生の手により行われました。
 プレートにはSAKURA GARDEN 桜ガーデンと記してありました。
キャンプメモリアルにはNZの国旗が、SAKURA GARDENには日章旗が掲揚されており、この地がNZ・日本双方の平和の架け橋になって欲しいとのステイプル首長の思いを感じました。

加えて、升本先生と奥様を始め、ピアニストの湯山先生、団員全員が南ワイララパ地区の名誉市民の称号を授与されるというサプライズもありました。
団員には身に余る光栄と思っております。
NZの小さな街の出来事ですが、歴史的な一日となりました。
私達はこの活動を続けてきた事を誇りに思います。
これを糧とし、これからの活動を模索して参ります。(田島)

0 コメント:

コメントを投稿